忘れ去られた場所

いつか復活する日を夢見て化女沼(けじょぬま)レジャーランド

東北の地にかつて存在した夢のような遊園地、「化女沼(けじょぬま)レジャーランド」。その名を聞いて懐かしさを覚える人もいれば、廃墟ファンの間では「聖地」として知られている場所でもある。今回は、かつての賑わいと静寂、そして今も変わらぬオーナーの想いに迫りながら、復活を夢見るこの場所の物語を紐解いていく。

化女沼(けじょぬま)レジャーランドの歴史

かつての東北を代表する一大レジャー施設であった化女沼レジャーランド。その歩みには、時代の栄枯盛衰が色濃く刻まれている。

全盛期を迎えた「夢の遊園地」

1979年、宮城県大崎市の化女沼のほとりにオープンした化女沼レジャーランドは、観覧車やジェットコースター、メリーゴーランドに加え、温泉や宿泊施設を備えた複合型リゾートだった。敷地面積はおよそ4万5000坪というスケールで、東北一円から観光客を集め、連日多くの笑顔で溢れていた。

当時の日本はバブル景気の真っ只中。化女沼レジャーランドもその波に乗り、華やかな時代を駆け抜けた。しかしその繁栄は長く続かなかった。

バブル崩壊と静かな閉園

1990年代に入ると景気は後退し、人々のレジャーへの消費も減少していく。経営は徐々に厳しくなり、2001年、化女沼レジャーランドは惜しまれつつも閉園となった。園内の遊具や施設はそのままの姿で残され、自然に飲み込まれながら、やがて“時が止まった場所”として静かに佇むようになった。

その後、園内の遊具や建造物が朽ちていく様子がインターネットや書籍などで紹介され、廃墟ファンたちの間で「一度は行ってみたい場所」として語られるようになったのである。

オーナーの想い

施設の閉園から20年以上が経過した今も、化女沼レジャーランドには忘れられない夢が宿っている。それを語る上で欠かせないのが、オーナー・後藤孝幸さんの存在だ。

夢の始まりとその情熱

後藤さんは、自ら銀行を回って資金を集め、アメリカやヨーロッパから遊具を取り寄せるなど、並々ならぬ熱意で化女沼レジャーランドを開業させた人物。レジャーランドにかけた情熱は尋常ではなく、開業当時のエピソードには感動すら覚える。
「遊園地を開くことは私の夢だったんです」と語る後藤さん。その夢は、化女沼という地に根付き、時代の一部となった。

再び人が笑顔になる場所へ

2015年、後藤さんは一人の廃墟マニアを訪ねて岐阜まで出向いた。その目的は、化女沼レジャーランドの新たな可能性を探ることだった。「私ももう85歳になります。そろそろ手放したい。でもできれば、もう一度あの場所を、皆が笑顔になれる場所にしたいんです」と語った。

彼が手渡したのは、温泉源泉付き、4万5000坪の敷地の概要と、希望価格5億円の資料。不動産業者ではない訪問先の相手に、あえて夢を託すその姿勢からは、ただの商談を超えた“想いのバトン”が感じられた。

今もなお、化女沼レジャーランドは人知れずその姿を留めている。遊具が静かに風に揺れ、観覧車が止まったままのその場所には、確かに夢の余韻が残されている。いつか再び、あの場所に笑顔と歓声が戻る日を願って。